RECRUIT INTERVIEW

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RECRUIT INTERVIEW


01創業70周年を迎えますが、今のお気持ちを教えてください。

石田会長創業当時の話は創業者である父から聞いた話になりますが、昭和30年代前半、自動車が急速に日本の社会に普及していく中で、商品車を運ぶ方法として自走(=商品車をドライバーが運転してお客様に届ける)が普通だった時代に、いち早く積載車(複数台車両を積めるキャリアカー)を導入したのが愛知車輌興業でした。そもそも、キャリアカーというものがほとんど無かったので、自前でキャリアカーを作って走らせていたんですよ。そのおかげで、運輸量で大幅に他社をリードすることができ、現在も続く大手自動車メーカーとのリレーションシップの礎を築くことができました。
小林社長それは、今も愛知車輌興業の大きな財産となっています。 拠点を増やすにつれて、工場から出荷されて船で届いたばかりの新車を船から降ろしてキャリアカーに積み、全国のお客様にお届けするという輸送にも携わるようになりました。現在でも愛知車輌興業では全国各地の工業港の近くに営業所・モータープールを持ち、全国ネットワークを活かした新車輸送を展開しています。
石田会長ちなみに今ではもうありませんが、当時昭和40年代前半は、国鉄(現在のJR)の貨物列車で”車を電車で運ぶ”という鉄道輸送の経路もあったんです。その時も他に先んじで貨物の到着駅に営業拠点をつくって、駅からお客様へのもとへ輸送するという事業を展開してきました。当時、鉄道輸送を行っていた国鉄にたった一人でいきなり飛び込み営業に行ったんですよ(笑)。現在では車両輸送は行われていませんが、その時開拓した拠点は残っており、今も大切な営業の要になっています。

とにかく、時代の流れを見極めて、リスクをとってチャレンジする。誰よりもフットワーク軽く「手をあげる」「やってみる」ことで先行者利益を勝ち取り、また新しいことにチャレンジしていく、その繰り返しで愛知車輌興業は今日までこれたのだと思っています。

02とにかくやってみる!という開拓者精神が愛知車輌興業の大切なマインドなんですね。

小林社長そうですね。当時は需要過多でとにかく運び手が足りない時代だったとはいえ、普通なら門前払いをされてもおかしくない相手に対して攻めの姿勢を崩さない創業者のバイタリティに驚かされます。それとともに、現在にも続く愛知車輌興業の根底にある開拓者精神のルーツはここにあるのだなと感じています。
こうして全国に拠点を作ったおかげで、地場の一つのメーカーだけでなく、全国各地でさまざまなメーカーとの取引を獲得することができました。それは、今も当社の大きな営業資産になっています。
石田会長平成初頭には全国の年間新車登録台数が777万台を数え、国内の車輌輸送量もまさに右肩上がりで増加し続ける好景気が続きました。全国の拠点をフル稼働させ、企業規模も順調に大きくなっていきました。
ただ、やはりいい時ばかりではなく、今日に至るまでには、愛知車輌興業にも多くの苦難や紆余曲折がありました。最初の試練はITバブルの崩壊です。いわゆる「失われた10年、20年」が始まったのが平成13年のことでしたね。

03平成の大不況の中にあって、会社の経営はどんな状況だったのでしょうか。

石田会長まさしく創業以来最大の危機でした。デフレがどんどん進んで価格競争が激化し、それまでに比べて、一気に10%の値下げを余儀なくされたのです。厳しい状況でしたが、何とか耐えることができたのは、創業以来築いてきたさまざまなメーカーとの取引のあり方でした。不況の波は日本の自動車業界を広く襲いましたが、それでも複数の取引先の中には波の大小があり、なんとかその中でバランスを取って、わずかながらも利益を出すことができました。
小林社長その当時、「リストラだけはしない」と決めていたそうですね。ただ、その分社内でのコスト削減は苛烈なもので、手当のカットや歩合単価のダウンなど、現場で働く社員の皆さんにも多大な苦労を強いることになったと聞きました。
石田会長そうです。実はその時の思いが、自分の根底にある経営哲学を変えていくことになります。

04根底の経営哲学とは、どんなものでしょうか?

石田会長大不況による苦難をどうにか凌ぎ、ようやく出荷台数も増加に転じて少しずつ会社の経営状態も元に戻り、人心地ついてこの激動の数年を振り返ったとき、この数年間は、実に多くの人に痛みを強いた数年間であったと痛感したのです。

当社の協力会社の皆さん、そして当社の従業員の皆さん、それぞれに生計がある中で、辛く長いコストカットの中で大変な苦労を余儀なくしてしまった数年間でした。
そうしてどうにか会社を存続させることはできたものの、ふと、「会社を続けていくことの意味はなんだろうか?」とあらためて考えたのです。

経営者の役割は会社を存続させること。では、一体何のために、誰のために、会社を存続させるのか?ー そう考えると、結局、会社を存続させていくことの目的はどこまでいっても「幸せになるため」なのだと。

お客様や従業員、関連会社の皆さん、会社に関わる人たちの「幸せ」のために事業をやるんだと、強く意識するようになったのがこの時でした。その時から、愛知車輌興業は今日に至るまで、「会社の目的」として「幸せ・感動のため」という理念を掲げています。

05大変な苦難の後に、価値観の転換があったのですね。

石田会長ITバブル崩壊不況を乗り切った次には2008年のリーマンショックもありました。こうしてみれば、まったくピンチの後にはチャンスあり、逆もまた然りという感じですよね。リーマンショックの時は平成20年の年明け早々、メーカーの生産台数が実に4割減となりました。メーカーが生産していないのですから、運ぶものも当然ありません。とにかく「運ぶ荷物が無い」状態が半年以上も続きました。

この時も、経営者として第一に考えたのは「従業員を解雇しない」ということでした。一人も解雇せずにこの苦境を乗り切って、再び成長に転じていくにはどうすればいいのか?をまず第一に考えました。

しかし、とにかく仕事が無い。頭を抱えました。従来通りの仕事はどこを探しても無いという状況でしたので、車輌輸送以外の現場へのドライバー派遣を行ったり、内勤の皆さんには社内でできる仕事をあれこれ考えたりと、とにかく仕事を生み出す、雇用を維持するということに注力しました。それでもどうしても苦しい場合は、希望する人から少しずつ時短勤務を取り入れたりしながらも、とにかく「リストラ0」を死守するんだという想いで試行錯誤しました。

結果、その年の9月ぐらいにはどうにか出荷台数が元の水準に戻り、結果的に一人も会社都合で解雇することなく、リーマンショックもどうにか乗り切ることができました。

06苦難を通じて一致団結し、強くなっていったのですね。

小林社長その通りです。リーマンショック後は一気にドライバーが足りなくなってしまうぐらいの状況になりました。
辛い数ヶ月を一緒に戦ってくれた従業員の皆さんには、勤務条件や給与を従来の水準に戻すだけでなく、さらに昇給を行えるまでに経営状況を改善することもできました。

ただ、会社都合のリストラでこそ無かったものの、先行き不安から10%程度のドライバーは辞めていってしまっていました。不況の中で会社を離れていってしまった皆さんのことを思うと、また次にこのような苦難がやってきた時に、「苦難に耐えるだけではだめなのだ」「苦難の中にあっても成長できる企業でなければ」という決意も新たにしました。

景気の波というのは必ずあります。特にめまぐるしい変化を続ける自動車業界という環境の中で、どうやったら「成長」ができるのか?そのための取り組みとして、車輌輸送のみの1本足打法ではなく、当社の強みである輸送ネットワークを生かした部品流通業や倉庫管理業、コールセンター業、ドライバー派遣業など、事業の多角化推進をこの頃から始めました。
また、常日頃からの業務効率化にも取り組み、帰りが空荷になってしまうなどの利益率の低い仕事を極力無くすために同業者と連携するなど、地盤を固めるための新たな取り組みも進めました。

そうして幾多の苦難を乗り越え、奮起して成長を続ける中で、2019年には過去最高益を達成することができました。私が社長に就任したのは2021年、コロナ禍の真っ只中だったのですが、事業の多角化等の取り組みも奏功し致命的なダメージは受けず、その状況の中にあっても、全社員を対象にした昇給を2回実施することもできました。

07東日本大震災の被災という出来事もありました。

小林社長そうですね。東日本大震災も非常に大きな出来事でした。仙台の営業所が水没し、本当に幸いなことに従業員は無事だったのですが、トラックやキャリアカーはまとめて流されてしまったんです。かろうじて残った事務所の一棟も床上58cmの浸水で、パソコンも運行資料も車輌台帳も、何もかもが水浸しになりました。

そんな時「自分たちには何ができるのか?」「今何をするべきか?」を考えて、津波の翌日には本社のトラックに支援物資を積めるだけ積んで、朝5時に出発し、仙台まで700kmの道のりを現地に向かいました。「今できること」を考えてすぐ行動するというのは、これまで幾多の苦難を乗り越えてきた中で、我々が培った文化ではないかと思っています。

到着後は二次災害を防ぐため残った車輌からバッテリーを外したり、事務所の中から水浸しになった資料を引っ張り出して天日干しをしたり、社員も役員も総出でひたすら復旧作業に取り組みました。起こってしまったことを嘆くよりも、この先どうするかを考えることに集中しました。その気持ちが皆で共有できていたからか、不思議と悲壮感はありませんでした。

私は当時愛知車輌興業に転職してきて間もない頃で、こんな時に抱く感想ではなかったのかもしれませんが、「愛知車輌興業は良い会社だな」と心底感じたことを、今でも覚えています。

06最後に、愛知車輌興業への就職希望者へのメッセージをお願いします。

小林社長運輸業界には2024年問題など、まだまだこれからもさまざまな変化の波が訪れると思います。そんな中にあって、会社としては、「会社が社員の皆さんの幸せづくりの場であること」これを第一の約束として掲げて、経営の改善に取り組んでいきます。たとえ利益が少ない年であっても、守りに入らず採用増、昇給を行うなど、”今ではなくこの先”を見据えた戦略を立てていきます。

一緒に働く皆さんには、「いま自分にできることは何か?」を考えて、そこに向かって誠実に努力ができる人であってほしいと思っています。

今、愛知車輌興業で活躍している社員の皆さんに共通しているのは、トラブルがあれば他人の問題でも我が事として捉えて共に努力し、うまくいけば喜びを分かち合える人であるということです。
それができる人ならば、年齢や性別、経験は関係ありません。ぜひ、今できることにひたむきに取り組み、ご自身やご家族の幸せの形を作り上げながら、愛知車輌興業が成長していく道のりを一緒に走ってくれる人に、仲間に加わっていただきたいと思っています。